change〜変化への挑戦〜

QOLの向上を目指し様々なことに挑戦していくブログ

何も変化していない。

 

最後の記事から早2か月。

僕の生活は何も変化していない。

そう、何も変えることができなかったのである。

まるでやる気が起きず腐敗した生活を送ることしかできなかった。

しかもネガティブな思考が相も変わらず僕を支配しており「頑張ったところで何かどうしようもないことが起きたら意味ないよなあ」とかかもしれないという可能性の話をして全てから逃避する有様である。

本も最近は読めていない。というか僕は本が本当に好きなのだろうか。

本読んでいるとなんか知的でカッコいいとかそんな単純な理由で読んでいるのではないのだろうか。実際のところあまり内容が入ってこないし、集中力も持続しない。

静かな空間で黙読することが耐えられない。音楽をかけていないと落ち着かない。でも音楽をかけているとその他のことに集中できない。

全く僕は僕という人間に対してどのように接していけば良いのだろうか。

 

あー、でも昨日久しぶりに一冊本を読んだ。

ベルハルト・シュリンクの「朗読者」である。

主人公が15歳の頃に中年ぐらいの女性を関係を持ち、主人公によく朗読をせがんだ。その女性は突然姿を消す。

主人公が大学生の時にアウシュヴィッツの看守として裁判にかけられているのを発見。裁判を傍聴。女性は牢に入れられ、主人公は朗読したテープを牢に送る。

出所の時に迎えに行くが女性は自殺。

かなり大雑把に書いたがこんなストーリー。

登場人物の心理描写や、題材にアウシュヴィッツが取り上げられていることもあり、考えさせられる内容だったと思う。

詳しくは一読してみて。

 

話は変わるが、僕のブログのテーマは「変化」である。

しかしながらブログの継続すらできなかった。

そして今もブログの更新底濾過日々の家事を適宜行う自信もない。

ネガティブから抜け出してより快活な人生を送れるとも思えない。

なぜなら今までの過去が堆積して今の自分が作られているからである。

そして僕は過去の克服はできないと考えている。

過去に起きたことはもう変えることのできない事実である。

その過去が堆積して今の自分が出来上がっているのな新しい今を積み重ねて未来の自分を形作りしかない。それは決して過去の克服ではなく、過去とともに生きていくことなのだと思う。

 

僕は今、20代半ばだが独り立ちしてまだ数年しか経っていない。

社会人になってからの人生を第2章と位置付けるのであれば、僕の2章は始まったばかりである。僕はこの2章をどのような物語にしたいのだろうか。

今の僕は特に目標もなくただ生きているだけであるから、快活に生きられないのだろうか。もしそうだとしたら目標を見出すべきだろうか。

目標か。

年収を上げる?異業種に転職?家庭を持つ?

何もでてこないな。

僕はやりたいことがない。

仕事は僕の心をしばしば締め付けるだけであるし、前ほどではないが今でもがんじがらめにされている。考えても仕方のないことなんだろうけど。

 

今月は出費がやばいな。

まあ、たまにはいいか。